ユーさんのシネマ談義 第14回 荒野の七人 PDF プリント メール

ユーさんのシネマ談義⑭ (2009年11月14日)

 

<1> 映画題名
    「荒野の七人」THE MAGNIFICENT SEVEN
      (監督)ジョン・スタージェス
      (撮影)チャールズ・ラング  
      (音楽)エルマー・バーンスタイン
      (原作)黒澤 明

 

<2> 出演
    1 クリス(ユル・ブリンナー)
    2 ヴィン(スティーブ・マックィーン)
    3 オライリー(チャールズ・ブロンソン)
    4 ブリット(ジェームズ・コバーン)
    5 チコ(ホルスト・ブーフホルツ)
    6 リー(ロバート・ヴォーン)
    7 ハリー・ラック(ブラッド・デクスター)

 

 

<3> あら筋
メキシコの寒村・イストラカン。この村は毎年野盗のカルヴェラ一味に収穫物を略奪され続けています。長老と相談した村人はガンマンを雇うためテキサスにやって来ました。村人は先ず早撃ちのクリスに出会います。
“盗賊を追い払えば村は息を吹き返す”村人の痛切な依頼、クリスは僅か20ドルで用心棒を引き受けました。

しかしカルヴェラ一味と闘うにはガンマンがあと6人は必要でした。人集めをしていることを知ったハリーがすぐさま駆けつけました。そして酒場でヴィンを誘います。続いてオライリー、ナイフ使いのブリット、リー、が加わりました。チコは拳銃の早抜きで落とされましたが、粘り強く付きまとい、クリスは仲間入りを認めます。

 

かくして7人のガンマンがイストラカンへ入りました。七人は村人に銃の使い方を教え、石垣を築き、罠を仕掛けて盗賊の来るのを待ち受けるのでした。やがて腹を空かせたカルヴェラ一味がやって来ます。

七人のガンマンは村人と共に果敢に応戦、一味の侵入を見事に防ぎました。

 

ところが、勝利の後村人たちはカルヴェラ一味の仕返しを恐れ始めるのでした。

“彼らの要求を飲めば殺されずにすむ”

“妻子のいないこの人たちは気楽だ”

クリス達七人は「村を出て行ってくれ」と告げられるのでした。それにも拘らず七人は野盗陣営に奇襲攻撃をかけました。しかしカルヴェラ一味はもぬけのカラ。村に戻ると、何と言うことか!村人たちはカルヴェラ一味と手を結んでいたのです…。

 

 

<4> 感想 
黒澤明監督の「七人の侍」を観たユル・ブリンナーはこの作品は「西部劇」になる直感して、東京の弁護士を通じて「七人の侍」のリメイク権(西部劇化)を取得しました。私たちの世代(両作品の公開当時は中学生)ではどちらかというと「荒野の七人」の方を先に見た人の方が多いかも知れません。

私はクリス役のブリンナーが最初にヴィン役のスティーブ・マックィーンと出会うシーン、そして次々と用心棒を集めていくテンポの良さに胸がワクワクしました。「格好いいなー」と思いました。特に最初に現れて早撃ちのテストをされたチコのシーンは「七人の侍」同様ボス役の圧倒的な存在感を示しています。

出演者はその後大スターとなっていきますが、そのきっかけとなったのがこの作品でした。その後スティーブ・マックィーンは「大脱走」に、J・コバーンはオスーカー賞を獲得、R・ボーンは「ナポレオンソロ」、チャールズ・ブロンソンは個性的な俳優としてそれぞれ開花していくのでした。以下にこの作品の見所、聴き所をまとめて見ます。


* バーンスタインのメインTM曲がすばらしいです。この曲が冒頭から七人のガンマンの格好良さと用心棒仕事に向かうゾクゾクする興奮感を盛り上げていると思います。カルヴェラ役のイーライは自分がOPで登場するシーンには是非この曲を挿入してほしいと頼んだくらいです。こんな名曲がBGMとしてあれば、シーンの展開やカット編集もリズムカルになり、無駄なシーンが入る余地を無くしてしまい、見やすくてメリハリの効いた作品に仕上がるのだろうと思いました。


* 西部劇としては異色の事がいくつかありました。「ブリンナーのカーボーイ姿」「ナイフ使いのブリット」「インテリガンマンのR・ボーン」等々それまでの西部劇映画に出てくるガンマンたちとはまるで違ったタイプでした。セリフの中にも従来の西部劇とは違い「ガンマンの身の処し方」がテーマとなっているもがいくつかありました。“ガンマンというものは、引き立ててくれる人も、腹を割って話せる人もいない。出世の見込みもない、ゆっくり落ち着ける場所もない”とその本心を吐露する場面があります。役目を果たしたガンマンは最後に“農民だけが勝ち、土地と同じように永遠に生き残っていく”と呟き村を後にするのでした。そして風がイナゴを吹き飛ばすように野盗を退治してくれたカーボーイは、今、風のように農民の土地を過ぎ去っていくのでした。


* 今回の作品は公開された1960年当時は失敗作だと評価され、僅か1週間で上映打ち切りとなりました。しかし、その後ヨーロッパで大ヒット、その後アメリカで再上映されるようになりました。そしてこの映画は七人の世界的な大スターを育て上げることにもなったのです。

 
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