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ユーさんのシネマ談義⑯(2009年12月19日)
<1> 映画題名
「ドクトル・ジバゴ」DOCTOR ZHIVAGO
(制作)カルロ・ポンティ
(監督)デビッド・リーン
(脚本)ロバート・ボルト
(音楽)モーリス・ジャール
<2> 出演
1 ジバゴ(オマー・シャリフ)
2 ラーラ(ジュディ・クリスティ)
3 トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)
4 コマロフスキー(ロッド・スタイガー)
5 ジバゴの兄イエブグラフ(アレックス・ギネス)
<3> あら筋
ロシア革命後のソ連、巨大なダム建設現場で多くの人民が働いています。イエブグラフ将軍の部屋に一人の若い娘が呼ばれました。彼女の父親はロシアを代表する詩人ジバゴで、恋人ラーラとの間にその娘は生まれたのです。ジバゴの異母兄弟であるイエブグラフはその娘(姪)にジバゴの生涯を語り始めました。ジバゴは幼くして母親を無くし、母の友人のもとで育てられました。長ずるに及んでジバゴは医者を志しますが、時あたかもモスクワはロシア革命の前夜、ボリシェビキと皇帝軍は熾烈な覇権争いを続けていました。医学の傍ら詩作に没頭していたジバゴは激化する政治闘争からは距離を置き、パリ留学から帰国した幼馴染のトーニャと結婚します。
他方、ラーラも医学を学んでいましたが、母親の恋人コマロフスキーに身体を奪われ、ジバゴの眼前でその男に拳銃を発射します。それが二人の運命的な出会いでした。
やがて、ロシアは第1次大戦に参戦、ジバゴとラーラは医師と看護婦として前線で再会するのでした。負傷した兵士の治療に当たるうちに、2人の間には特別な感情が湧き上がっていきます。
1917年ロシア革命勃発、ジバゴはモスクワへ戻ります。しかし妻の家は人民軍に没収され、一家は田舎へ移住していきます。一方ラーラは隣町ユリアテインの図書館で勤務していました。ジバゴは近くにラーラがいることを知り、図書館を訪れラーラと再会します。そして、二人の間には抑えていた愛の炎が堰を切ったように燃え上がっていくのでした….
<4> 感想
1966年公開当時私は18歳で、第1次大戦やロシア革命についての知識も殆どなく、ジバゴが詩人として生きた時代がどんなものであったのか理解できませんでした。ですから、最初この映画を観たときそれ程感動はしませんでした。この作品の監督デビッド・リーンは製作当時57歳でした。彼はそれまでの10年間は英雄もの(戦場にかける橋、アラビアのロレンス)を製作してきましたが、「ドクトル・ジバゴ」では新しい切り口で映画を作ります。
それは、「作品の背景は戦争と革命、内容は男女の愛の葛藤を描く」というものでした。しかも、主役のジバゴは静かに人生を愛している内省的で穏やかな詩人でした。ですから、言葉数も少なく、何かを表現するよりもじっと観察しているタイプの人間として描かれています。その眼差しの向こうに官能的な美しさを秘めたラーラが現れます。そして愛に生きるこの二人の背後には悲惨な戦争と冷厳なロシア革命が存在していました。
この対照的な組み合わせの妙を感じ取るには、ある程度の人生経験と恋愛経験が必要なのかも知れません。恥ずかしながら、私も60歳を過ぎてようやく男女の愛の様々な有り方を知らされたような気がしています。
以下この作品の感想や製作エピソードです。
* 原作はノーベル賞作家のパステルナークで、700Pを越す大作をリーンと脚本家のJ・ボイトは恋愛部分だけに絞込み、政治や戦争や革命は重視しない手法を採用しました。映画で扱いたかったのは「政治ドラマではなく人間ドラマだった」と2人は述べています。その視点でこの作品を鑑賞すれば、監督や脚本家の製作意図が良く分かるのではないでしょうか。この映画はリーンの作品の中では評価は低いようですが、この後に製作された「ライアンの娘」「インドへの道」に繋がるリーンにとっては転機となった作品ではなかったかと私は思っています。
* 音楽を担当したモーリス・ジャールはこのTM曲でアカデミー賞を受賞していますが、監督からは何度もNGを出されています。「悲しすぎる、テンポが速すぎる、もっと恋人と一緒にいる雰囲気を…」と注文が出されました。M・ジャールは人を包み込むような広大なロシアの大地を表現するためにオーケストラにバラライカ奏者を24人加え、この曲を創り上げたのです。3時間を超える大作にふさわしいスケールと恋愛の気高さを感じさせる見事な主題曲に仕上がっていると言えるでしょう。
* この映画製作当時パステルナークの原作はソ連では発売禁止、当然ながら映画撮影はできませんでした。リーンはマドリッドにモスクワやクレムリン宮殿のセットを1年半かけて再現、そして撮影に1年、編集に8週間かけて完成したのがこの「ドクトル・ジバゴ」なのです。
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